作ること 戦うこと 暮らすこと

日々の出来事を書いてゆきます。

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忘れちゃいけない。


家の近くの交差点で自転車と自動車の交通事故が起きた。
ちょうど反対側の横断歩道を自転車に乗っていた私は、すぐに駆けつけ、一番最初に倒れた女性に駆け寄り話しかけた。
呼吸はあった、意識は朦朧としていた。
駆け寄り集まった人たちは最初は呆然としていたが、皆命の前に心は一つだった。
頭から血を流していたが、命に別状はないと思われた。救急車に運ばれ、その後は彼女がどうなったか知ることはできない。

目の前の命が死に接近したとき、人間はフラットになる。不良も主婦もおっちゃんもおばちゃんも。
目の前の命に、力を合わせることができる。
命は皆に同等の価値があるはずだ。


人間はどうしてこれを忘れてしまうのだろう。
どうしてすぐに忘れて、小さな利害にとらわれるのだろう。
二年前の大きな天災。
また忘れたころに、大地は警告する。

写真は東大寺のお松明を待つ人々。
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  1. 2013/03/14(木) 23:31:52|
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とかく、新潟の雪はやっかいだ。北海道などに比べ気温は高く雪は重いので、パウダースノーとは違い、風に飛ばされることなくどんどんと降り積もる。
道路に埋め込まれた消雪パイプにより溶けきれない雪は、ビシャビシャで歩きにくく長靴で歩く他ない。
さて、信州霧ヶ峰の雪は憧れのそれだった。
降る雪はパウダースノーであり、気温が低いために、
降り積もった雪は、新潟の厳しい冬の数少ない楽しい思い出である「シミワリ」と似ていた。
シミワタリとは降り積もった雪が溶けかけ、それが厳寒の朝に凍り、雪の上をぬかることなく歩くことができる現象である。
それは歩きにくい道を歩く必要もなく、白い絨毯がひかれた田んぼの上を何処までも歩くことができる。
霧ヶ峰高原の冬は白い大地を好きなように歩くことができた。
幼い頃の思い出が、鼻水と共にキラッと流れた。

  1. 2013/02/10(日) 18:46:34|
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奈良です。


東大寺二月堂から眺める奈良の朝です。
今年の正月は1人奈良で迎えることになりそうです。
数年前は秋葉原で柔術のスパーリングしながら年越ししたのが懐かしい。
今年は静かな正月にするとします。
そう、うちは五年程TVがないのです。

  1. 2012/12/19(水) 22:05:44|
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琵琶


琵琶と尺八の演奏を聴きにいきました。
琵琶といっても、いろいろ種類があって、現代までに改良されて形を変えてきたようです。
こちらは薩摩琵琶という琵琶だそうです。演奏者のかたと写真を撮らせていただきました。
琵琶を製造販売されているのは、今では東京の虎ノ門の一軒だけだそうです。
こちらは、桑の木と花梨の木でできているそうです。

琵琶も大陸から渡ってきて、時を経て日本らしい形になってゆく、仏像と同じですね。
音ももちろん素敵でしたが、形や存在感がなんともいいです。
  1. 2012/11/17(土) 21:01:24|
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奈良公園の朝です。


最近は東大寺で現地修理に加わっています。
前回の修理は明治時代。次に修理するのはいつだろう。
いつまでこの仏像たちは生きてくのだろう。
未来の誰かも同じような風景をみるのだろう。

  1. 2012/10/25(木) 00:11:36|
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